とても天気のよかった午後、箕島高校の生徒さんと再度矢櫃地区に入りました。
宮崎老人クラブ会長の呼びかけで、矢櫃地区に暮らしている会員さんが集まってくれました。

女性会員さんが大半を占めているということで、今日も女性陣のパワーを感じました。

矢櫃地区の歴史について、会長さんが教えてくださいました。
この地区は400年前にできたとハッキリしているのが特徴で、その頃たった4人で家も田畑もないこの地に入り、その4人がお殿様からいただいた6隻の船で漁をして発展させたということです。4人だった住人がそれから300年した大正終わりには800人になり、そこから100年経った現在は250人になっているということです。

漁で栄えたこの地区は、特に昭和40~50年代、ちょうど大阪万博の時代に最盛期を迎えていたと言います。釣り客でにぎわい、この小さな矢櫃地区に6つの旅館と民宿、個人宅に泊まるという、今でいう民泊のようなことをして釣り客をもてなしていたと言います。
「矢櫃の魚はほんっとに美味しいです!」とおっしゃっていました。鯛やヒラメ、はまち、いさぎ、鯵などがよく獲れるそうです。

そうして栄えてきた町も、高齢化と共に漁を継ぐ人が減り、高齢者夫婦のみやひとり世帯が目立ちます。
「多世代で暮らしている家庭」を聞けば、3軒と即答。「一人暮らしの方などを地域で把握していますか」の問いにも「はい」と即答。
小さいがゆえに、お互いのことを分かり合っている、声を掛け合って暮らしている、それも矢櫃の魅力だと教えてくれました。

先日の台風21号の時も大変な強風であったと言います。海に面しているため普段から風がきついそうです。
お話を伺った矢櫃公民館は避難所になっているそうですが、築50年。また、ここまでたどり着くのに普段でも30分、何度も途中で休憩をとるということです。それ故、台風の時は鉄筋造りの自宅から動かない人が多いと言います。

矢櫃地区の地域課題は?と問えば
「道よ!」と力強く即答されました。同時に活性化させるためにも「道」をどうにかすれば可能性は高まらないかという意見もありました。私たち中年ですら息が切れる坂道です。70歳でもまだ若いとおっしゃる皆さんにとって、毎日この坂道と付き合うには大変なことが多いだろうと思います。

地区には生鮮食品を扱うお店がないこと、生協も、この車の入らない坂道ゆえに全エリアをカバーはしてもらえないということから、市の運行しているデマンドバスを活用される方が多いと言います。それでも本数が少ないこと、巡回型なので時間がかかることなど使いづらさもお聞きしました。具体的に欲しいサービスも教えていただきました。

箕島地区を中心に課題を聞き取る予定でしたが、こうした中心地ではない地区も有田市であり、いろんな地区の課題をお聞きすることから、最終の政策提言につなげられたらと思います。

帰り道に、エーゲ海と言われる海を臨みました。矢櫃の魅力を聞けば皆さんが「景色」と答えられただけあり、とても美しい景色です。美しい景色の片隅に、かつて栄えた旅館が廃屋となって写り込んでいるのがこの町の象徴だなと感じました。