第13回(令和7年度)優秀作品

第13回 育てよう小・中学生 作文コンクール優秀作品
◇優秀賞 小学校高学年の部
糸我小学校 六年 谷口 蒼波(たにぐち あおば)さん
『姉から学んだみんなの幸せ』
僕の姉は左耳が聞こえません。生まれた時は聞こえていました。小学校四年生の時にとつ然聞こえなくなりました。改ぜんと悪化をくり返して、一年後には左耳の聴力は無くなりました。姉のようにかた耳が聞こえなくても反対の聴力に異常がない場合は、障害者にはなりません。でも生活するのに不便がないのかというと、多少はあるそうです。
姉から不便だと思っている事を聞きました。
「音の方向がわからない」音がどこから聞こえているのかがわかりにくいそうです。
「にぎやかな場所だと会話ができない」同時に色々な音を聞き分けることが難しいので、聞こえる方から話しかけてもらうと大丈夫だそうです。
「マスクを付けていたり、小さい声は聞こえにくい」マスクを付けると声がこもり自分が思うより小さくなります。またもともと声が小さい人や、はずかしくて大きな声を出すのが苦手な人もいます。何度も言い直してもらうのは気がひけるそうです。
次に工夫している事を教えてもらいました。
「友達と歩く時は一番左側を歩くようにしている。教室の席も前の左側にしてるよ。」聞こえる右耳を人の方に向けることで聞き取りやすくなります。
またアルバイト先では名札に「左耳が聞こえません」とはっています。この名札を見た人は、大きな声でわかりやすく話してくれることが増えるらしいです。
姉は左耳が聞こえない事をかくしていません。逆に最初に表示しているそうです。「周りの人に知ってもらうことで、一人では解決しない問題でも、サポートしてもらってのりこえられる。でも助けてもらうのは当り前と思わずに、感謝の気持ちを伝えて、自分が手伝えることは進んでするようにしているよ。」と言っていました。
ぼくは、姉から人に優しくして、助けること。そして逆に優しくしてもらって助けてもらうこと。その両方のバランスの大切さを教えてもらいました。耳だけでなく目、口、手足、色々な不自由をかかえている人にスムーズなサポートが出来るようになりたいです。一人だと小さな気配りでも多くの人が集まれば大きな力になると思います。そして世の中の人が少しでも楽しく笑ってすごせるといいなと思います。
◇優秀賞 中学年の部
有和中学校 一年 尾藤 美織(びとう みおり)さん
『誰もが生きやすい社会を目指して』
私が小さいころ、買物に出かけたスーパーで大声で叫んでいる人がいた。私はすごく怖いと思った。今、思い返してみればその方は障がいを抱えていたのではないかと思う。そう思うきっかけを得たのは障がい者の方と関わらせていただける機会を持たせていただけたからだ。
私がお世話になった福祉事業所には身体障がい、知的障がい、発達障がい、精神障がいなどがある人たちがいた。事前に職員さんからその方たちの障がいの特性について説明を受けていたため、少し不安ではあったが、隣の席に座ることができた。そして、一緒に作業をしはじめてしばらくすると、急に大きな声で怒り出した方がいた。その方は職員さんの声掛けですぐに落ち着いた。作業を再開し、その後、何度か同じようなことがあったが、職員さんの優しい声かけで、だんだんと表情が穏やかになっていった。人それぞれ特性も違うし、得意なこともあれば苦手なこともある。自分とは違うことがあり、理解できない部分があると思っていたが、障がいという言葉を怖れ、きちんと相手を理解しようとする努力が以前の私には足りなかったのではないかと思う。
駅やスーパーで障がいを持つ方々を見かけることがある。しかし、私は怖いとは思わないようになった。それは、福祉事業所での体験があったからだ。何かが違っていたら、自分が障がい者になっていたかもしれない。思うようにいかないことがあり、今よりも生きづらかったかもしれない。そう思うと、自分の障がいと向き合い、毎日を一生懸命生きている障がい者の方々を応援したい気持ちになった。
福祉事業所の職員さんの話の中で一番心に残っていることは「障がいに対する社会の理解がうすく、差別や偏見が根強く残っている。それを解消するために、小さいころから障がい者の方とふれあう機会を多く持つことはすごく大事である。自然と一緒に生きているという感覚を持つことができる。知らず知らずのうちに障がいの種類や特性を理解できる。次のときは友達も誘って来てね。」と話してくれたことだ。ここは限られた人だけの場所でなく、皆にとって生きていくうえでの学びをたくさん得られる場所であると知った。
私は、どうしてこんな障がいを抱えてしまったのかと日々思い悩む人がすこしでも少なくなり、誰もが生きやすい世の中になって欲しいと思う。そのためには、自分には関係ないからと思わず、障がいがある方々とかかわる機会を持つことが必要だと思う。私も、障がい者は怖くないんだとわかっていても、まだ、どうしても緊張してしまうことがあると思う。だから、これからも障がい者とかかわる機会を増やしていき、障がいについて深く理解し、ともに支えあって生きていくことができるのだと、皆に知ってもらえるようにしたいと思う。障がい者に対しての偏見を持つ人が減っていくことを願っている。
【めばえ賞】
田鶴小学校 五年 栗山 幸(くりやま みゆき)さん
『大好きなおじいちゃんのための福祉』
わたしのおじいちゃんは、甘いものが大好きで、よくいっしょにアイスクリームを食べました。おじいちゃんはもともと学校の校長先生をしていました。わたしの知らないことを教えてくれたり、宿題で分からないところを分かりやすく教えてくれたり、宿題を手伝ってくれたりしました。わたしはおじいちゃんとアイスクリームを食べることも、色々なお話をするのも大好きでした。おじいちゃんはいつもやさしく笑っていて、その顔を見ると、わたしもうれしくなりました。
そんな大好きなおじいちゃんが、今年一月にがんでなくなってしまいました。こうがんざいという薬で治りょうを続けていました。薬のせいで、いつも体がだるくてしんどく、足がしびれて歩きにくかったそうです。おじいちゃんは入院していました。わたしと妹や弟は小学生以下だから、会いたくても、病院へお見まいに行くことができませんでした。おじいちゃんは、病院ではなく、家で過ごしたいと思っていて、お医者さんに相談したそうです。そうしたら、お医者さんやかんごしさん、ほかにも色々なせん門家の人が集まって、おじいちゃんの希望をかなえられるように考えてくれたそうです。おじいちゃんの家には、歩きやすいように手すりがつけられて、おふろも入りやすくなりました。そして、かんごしさんが家に来ておじいちゃんの体調をみてくれたり、手伝ってくれたりしました。近くのお医者さんも家までしん察にも来てくれました。
おじいちゃんに会えるようになって、わたしたちはすごくうれしかったです。おじいちゃんとおばあちゃんも、とてもうれしそうでした。
わたしはあまり手伝えなかったけど、お父さんやお母さん、おばあちゃんが、おじいちゃんを支えている様子をいつも見ていました。
おじいちゃんはよく、「ありがたい」と言っていました。家で過ごせたのは少しの間だったけど、おじいちゃんを助けてくれたみんなに、わたしも「ありがとう」を言いたいです。
わたしが見ていないところでも、たくさんの人がおじいちゃんと家族のために色々考えて、手伝ってくれていたことで、家族みんなの希望がかなえられました。みんなの協力がなければ、かなえることができませんでした。
わたしは子どもで、できることはまだ少ないです。けれども、しょう来、だれかの幸せのために、自分のできることがないかを考えて、みんなと力を合わせて、こまっている人の手助けができる、そんな人になりたいと思っています。
【めばえ賞】
有和中学校 三年 九鬼 由嘉(くき ゆうか)さん
『子供でもできること』
私は小学2年生のころ、毎週土曜日にカフェで接客していました。なぜなら、私が歌キッズカフェの店員だったからです。歌キッズカフェとは、子供が店員になって地域の人を迎える子供カフェで、福祉館の広い部屋で開かれていました。私は小学二年生だったので裏方の仕事はできず、ジュースとお菓子を運ぶことしかできませんでした。その頃の私は、家族や先生以外に大人の人と話すことはなかったのと親が見ていたのもあって恥ずかしくてこの仕事は嫌だ、裏方の仕事をしたいと思っていました。
でも、仕事をしていくうちにそんなことは思わなくなっていきました。お客さんのところに「どうぞ」と言いながらジュースを運んで「お菓子を二つ選んでください」とお菓子の入ったかごを見せる。それだけのやりとりで簡単な仕事だったけど、「ありがとう」と笑ってくれたり、「がんばってるね」と声をかけてくれる人もいました。声をかけてもらえるのがうれしくて、その人たちのおかげで少しずつ緊張しなくなりました。こんな簡単で小さな仕事でも、ちゃんと人の役に立てるんだと感じられて少し自信にもつながりました。
やがて私は、カフェにいる時間が楽しくなりました。まだ少し親に見られて仕事をするのは恥ずかしかったけど年上の店員さんと関わったりカフェに来てくれる友達と話をしたり楽しかったです。家族や学校の先生以外の知らない大人=怖いという気持ちもなくなっていきました。たった一言、少し関わるだけでも人とのつながりはできていくものなんだなと思いました。
けれど、そのカフェは私が小3のころにコロナが流行してから自然と開かれなくなりました。コロナが落ち着いてからも気が付けば歌キッズカフェという場所はなくなり、店員さんはほとんどいなくなってしまいました。私は、あの場所がなくなってしまったことが悲しいしさみしく思っています。子供が人と関われる場所、誰かの役に立てたと実感できる場所が、少しずつ減っていくのはもったいないと思います。
子供は大人に守られる存在であると同時に、ちゃんと「できること」や「伝えられること」があると思います。小さいうちからたくさんの人と関わる経験をすることは、思いやりや自信を育てるきっかけになると思います。私は歌キッズカフェであった経験を通して、子供でも地域の一員に認められるということを知りました。
これからもっと、子供が地域の人と関われる場所が増えたらいいなと思います。そして、あの時の地域の人との「どうぞ」や「ありがとう」の関わりを忘れたくないです。そして、将来は私もあの頃の大人のように、子供たちを応援できる人になりたいと思います。自分がもらった笑顔や言葉を、今度は私が次の子供たちに届けたいです。その小さなやりとりが次の誰かの勇気になって、また新しいつながりが生まれたらいいなと思います。だからこそ、地域の中で子供も大人も笑顔になれる場所を大切にしてつくっていきたいです。
【めばえ賞】
有和中学校 三年 尾藤 加奈枝(びとう かなえ)さん
『みんなの居場所』
私は、「みんなの居場所」という社協を主に大学生や学校にいけない中高生を集めて交流をするという、月に2回あるボランティア活動に参加しています。ここでは、料理をしたり、いろんな人と会話をしたりなど、自由に過ごすことができます。私は中二の二学期にここへ初めて参加して、様々なことを教えてもらいました。直接教えてもらうことがなくても、料理のことについて話したり、勉強や人間関係の相談などをしていくうちにコミュニケーションをとる楽しさなどを学ぶことができました。コミュニケーションを学ぶことで今まで、「もし自分が言ったことが間違っていたらどうしよう」や「変だと思われないかな」などを考えてしまってクラスの人と話すことがとても苦手だったけれど、今は人に配慮はしながらも人との会話を思いっきり楽しめばいいという考え方ができるようになりました。また、コミュニケーションが取れるとほかの人の言葉について、あまり深く考えなくてもいいのかなと思えるようになったり、友達とだけでなく先生ともうまく話せるようになりました。また、「みんなの居場所」にきてコミュニケーションに慣れることによって、私だけでなくほかの中学生もはっきりと自分の意見を述べられるようになってきているのかなと感じました。
私は、今の時代には、すこし前の自分のように学校での人とのかかわり方が分からず教室に通うことが難しくなっている子が多くいると考えました。なので、このように居場所づくりの場を設けるという活動はこれからも必要になってくるのかなと思いました。この場があるおかげで学校での悩みを吐き出すことができたり、人に対しての感じ方を変えることができたりなど、参加している子たちに良いほうで影響を与えられているんじゃないかなと感じました。私もこの活動に参加してから失敗したとしても、前みたいに「どうしよう。もうだめだ。」というネガティヴな考えから、「次、がんばろう。」という前向きにとらえることができるようになり、友達からも「明るくなったね。」といわれることが多くなりました。
私は、この活動があったおかげで、今、楽しく学校へ通い、友達と思いっきり話したりすることができていると思っています。
この居場所づくりのおかげで救われた人はたくさんいると思います。大学生や社協の人が明るく分け隔てなく接してくれるおかげで会話の楽しさを知り、いろんな人との接し方について学ぶことができました。おかげで、私は今までで一番楽しい学校生活を送れていると思います。自分が明るくなることで周りも明るくなるし、例え、それが自分で変わろうとして自分の力でやったことであっても決して「みんなの居場所」で学んだことは無駄ではないと感じました。それを踏み台にいろんな人ともっと仲良くできたらいいなと思いました。これからも大学生の先輩たちから、人とのコミュニケーションや話の聞きかたを学んでいきたいと思います。












