本当に久しぶりのブログで失礼します。
今朝は、連携して福祉教育を展開している宮原小学校の水害慰霊祭に参列してきましたのでご報告します。

昭和28年7月18日 64年前の今日、有田地方は大水害に見舞われました。特にこの宮原町では、129人もの尊い命が奪われ、内小学生が20人含まれていました。
宮原小学校では毎年水害慰霊祭を開催していますが、県内でも毎年慰霊祭を続けているのは宮原小学校だけだと聞いています。

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慰霊祭の中では、水害体験者からの話をお聞きすることができます。
今年の発表者は当時宮原小学校に勤務されていた先生です。以前、社協との連携事業で高齢者宅訪問でもお世話になりました。
さすが、先生をされていただけあって、子どもたちに問いかけるように話をされていました。
今年は、九州地方の豪雨災害を毎日のようにテレビでみているので、子どもたちも他人ごとではなく、話に聞き入ったのではないかと思います。

一部ご紹介します。
先生のクラスの児童も2人犠牲になったそうです。亡くなった子どもさんのお名前をおっしゃってくれ、前日には跳び箱をしていたのだとその様子をお聞きしたことで、急にリアルに迫ってくる思いがしました。もう一人の女の子のお父様が後日先生におっしゃったそうです。
柿の木に上って水から逃げていたが、どんどん水かさが増えるのでてっぺんまで行くしかなかった。手を差し伸べて娘さんを助けようとしたところで、木がポキッと折れて、そのまま水の中へ落ちてしまった。2度3度、おかっぱ頭が水の上へ見えたもののまた水の中へ消え、そのまま帰ってくることはなかった。水が引いてからも探し回るが見つからないのだと。

最近テレビで見ている九州地方の様子と、この具体的な子どもさんの様子が重なり、目頭が熱くなりました。
きっと子どもたちも同じように感じたことでしょう。

先生は、情報の大切さを訴えておられました。昭和28年は各家に電話すらない時代。奥の山で降った水は2時間で宮原まで達したそうです。でも、今なら2時間前に雨量が増えていることを知ることができ、その時間があれば十分避難もできます。B29の空襲よりもこの水害体験の方が恐ろしく何度も夢にうなされたそうです。平時から、データ放送やスマホで有田川河川情報を確認するように子どもたちに強く伝えてくれていました。

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また、6月の高齢者宅訪問でお話しした方から水害体験を聞いた子どもたちも作文を発表してくれました。

訪問先の方のお兄さんは消防に勤めていて亡くなったそうです。自分の近しい人が亡くなるなんてどんなに辛かっただろう。今、自分が暮らしている宮原のまちが泥にまみれ、遺体がたくさん流れてきたなんて信じられなかったそうです。この話を聞いて彼女が考えたのは「無知と無関心」の怖さだとまとめていました。自分のまちで起こっていたことを知らなかったことを恥じる思いと、これから、いつ起こってもおかしくない天災のために自分にできることを考えたいと発表してくれました。

地域の高齢者を訪問し、水害の話を聞いた子どもたちもいれば、そうでない子どもたちもいました。振り返り授業でどんな話を聞き、そこから何を思い、どうしようと考えたのかを共有したことで、この水害体験も子どもたちみんなに活かされると信じています。

九州地方で水害に遭われた皆さまにも、この宮原が復興し、今があることをお伝えしたいです。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
今は全国からの支援もあります。あきらめずに、がんばろう日本!